・取材してきました! 2015-02-24 21:12

つかこうへい Triple impact  最後を飾る「いつも心に太陽を」開幕!

 

2010 年、日本演劇界の巨星、つかこうへいは天に旅立った。
以来、毎年、氏のホームグラウンドであった紀伊國屋ホールで作品は上演され続け、はや5年が経った。残された近親者、弟子達によって、故人の演劇の炎は消える事なくともし続けられている。

2015年2月に幕を開けた『つかこうへい Triple impact』。
「初級革命講座・飛龍伝」、中屋敷法仁構成・演出による「ロマンス2015」に続き、連続上演の最後を飾る「いつも心に太陽を」がついに本日開幕!

開幕直前ゲネプロの舞台写真が届きました!

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「いつも心に太陽を」

あらすじ
寂れた裏町の一角に、古き良きオカマたちが通ったオカマファッションのブティックがある。
ひび割れたショーウィンドウの中には、もはや着るもののいないきらびやかな衣装を身にまとったマネキンたちが立ち並んでいる。
その前に、一人の年老いたオカマが倒れていた。
そのオカマには、かつて激しく愛した男がいた。その男の名は、青木シゲル。
高校三年の夏、遠く和歌山のプールで出会い、上京し、共に暮らした男だった。
第十八回和歌山国体。少し身体が不自由な青木は幼なじみの谷口龍輝に見守られながら泳ぎ、
見事に金メダルを獲得した。シゲルを祝福し、去ろうとする谷口を、シゲルは引き止めた。

「いっしょに東京に行ってくれませんか。僕はあなたに見守られていないと、泳げないんです」

やがて谷口は選手をやめ、東京での二人の同棲生活が始まる。
土方のアルバイトをしながらシゲルの生活の面倒をみる谷口。
しかしシゲルは、その谷口から逃げるように女と酒に溺れ、次第に記録を落としていく。
そしてオリンピックの代表選考にも落ちたシゲルは、二人の家を出て行こうとしていた。

「俺は忘れはしない。あの第十八回和歌山国体を。あまえから見守られて泳いでいた俺を。
俺はだれよりも早く、だれよりも強く、ゴール板につくことができた。
早くゴール板について振り向きたかった。お前から見守られながら泳いでいた自分を確かめたかった。…泣くんじゃねえ!」

たとえ二人が二度と出会うことがなくとも、シゲルの心の中から、あの和歌山のプールの水面が消えることは決してなかった。

作品解説
1979 年2 月、西武劇場「平田満ひとり会」として初演。
戯曲は「平凡パンチ」(1979 年3 月26 日号)に発表。
また「ロマンス」というタイトルで短編小説が「野生時代」(1979 年3 月号)に掲載され
ている。さらに1986 年には、「青春 お父さんの恋物語」(角川書店)として長編小説化。
1997 年には「ロマンス」と改題、改訂し、北区つかこうへい劇団で上演されるなど、時代とともに形を変え、変遷を続けてきた。
ゲイやホモセクシャルという言葉が現在よりもはるかにタブー視されていた時代、男同士の恋愛を赤裸々に描いたこの作品は、社会に驚きをもって迎えられた。

そこには日陰者でありながらも必死に生きようとする男たちの悲哀があった。つかこうへいの作品に出てくる人物は、みな一生懸命であると言われる。自らの生き方に一生懸命であるがゆえに、それが滑稽に見え、つか作品独特の笑いへと繋がっていくのである。
戯曲「いつも心に太陽を」のト書きには、次のような一節がある。
「傷つきやすい心をルージュの赤に隠して、満たされない愛を求めてひっそりと生きつづける慎み深いオカマたちの時代の復活である」
決して社会に受け入れられることのない寂しさを、「ルージュ」という仮面の下に覆い隠し、美しく気高いふりをしながらも愛を求め、ただ一生懸命に生きていく…。その姿は、決してゲイの人々にだけ当てはまるものではなく、現代の孤独そのものである。だからこそこの作品は、時代を超えて生き続けているのである。

<<公演概要>>

■「いつも心に太陽を」
作:つかこうへい
演出:岡村俊一
出演:柳下 大、高橋龍輝 武田義晴、須藤公一、鮎川太陽、土井一海、髙橋直人、大石敦士

ほか飛び入りゲスト多数予定
(飛び入りという性質上発表はいたしませんが、Twitter等にヒントが隠れている事もございます。飛び入りゲストもお楽しみに)

公演日:2015年 2月24日(火)〜3月2日(月)
会場:紀伊國屋ホール